なんかオフィス街ってイメージありますよね!
西新宿(にししんじゅく)は、東京都新宿区内の地域名・町名。
郵便番号 160-0023
概要
その範囲は新宿駅の西口から渋谷区・中野区の区境付近。都内でも屈指のターミナル駅である新宿駅の西側の繁華街のほか、新宿新都心と呼ばれる世界有数の超高層ビル街がこの地域の代表的な存在であり日本屈指のオフィス街を為しているが、他に古くからの住宅街もいまだ健在な街である。
歴史
西新宿の名の由来は、新宿地区の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一?六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七?八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざな)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。
内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代までは農村の中に大名屋敷なども点在する場所であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年の新宿駅の開業である。1889年には、品川線(現:山手線)甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道水の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。
このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。しかしながら東口方面と異なり、西口には商業集積はなにもなく、東京地方専売局淀橋工場と浄水場が主な施設であり、これ以外には人家と学校があるに過ぎなかった。このため、今後の新宿の繁栄のために広大な面積を占める浄水場の移転が大正末期ごろから地元民によって要望され始めた。行政当局によって浄水場の移転を含む西口一帯の都市改造が具体的に検討、計画されたのは1932年(昭和7年)からであった。 1932年3月、東京市会に東京市第二水道拡張計画案が提出され、これにもとづき翌4月に策定された当局の財政計画は浄水場の機能を武蔵野市境に移転させ、浄水場の売却処分収入を市債の償還費にあてて都市計画東京地方委員会によって浄水場移転を前提とした街路計画を策定し、1932年9月に都市計画決定した。浄水場跡地中央の位置には当時円形の広場は予定されていて、青梅街道や甲州街道ほか街路網をバロック的な街路計画にまとめていた。これが今日新宿副都心での最初の法定計画となったが、浄水場の移転自体が戦後になったので、完成は戦後に持ち越された。
戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本が高度経済成長のさなか、まず1965年に東村山市に浄水場が移転され、1971年に京王プラザホテルが建設された。
この地区に国際級の超高層ホテルを建てようと最初に考えたのは、当時、京王電鉄の社長を務めていた井上定雄氏であった。彼は「世界の都市はすべて西に向かって発展してきている。東京の中心もいずれ新宿の方に移ってくる」と予見し、ホテル計画を立てたのだ。
ただし、当時の京王電鉄は、巨額の借入金を抱えていて、百貨店も赤字、さらに将来には複々線の高架化などで多額の資金の準備が想定されていた。そんなわけで、実は会社としては「ホテルどころじゃない」という状況だったのである。
ホテル業界の中でも「新宿に国際級ホテルを建てるなんて、無茶だ。銀座や赤坂だから商売になるのに、新宿では商売にならないよ」という声が上がっていた。
井上氏はでも、この機会を逃しては、ホテルを建てることはできないだろう、いや、いま絶対に建てるべきだと思ったのであろう、京王電鉄の社長の座を退いてまで、自分の計画を推し進めるのである。
こうして、1971年(昭和46)に、当時日本最高層のホテル、京王プラザが誕生したのだ。
周囲に何もない野原のような場所にポツンと建ったホテルではあった(このような状態が約3年続いた)が、47階建て・高さ170mの超高層ホテルという謳い文句は、人々の目を釘付けにした。
例えば最上階には有料展望台を開設したが、連日長蛇の列で、入場者数は半年間で100万人を突破、75年頃辺りからは客室も満室状態が続き、それで南館増築の計画も持ち上がるのである(完成は80年)。
それからの盛名は、皆さんもよくご存じの通りである。一人の経営者の、周囲の反対を押し切るほどの熱意から始まったホテルが、こんなにも大きな大輪の花を咲かせたのは、珍しいのではないだろうか。
富田昭次のコンシェルジュコラム/第10回:京王プラザホテルの誕生秘話、ご存じですか。
この京王を皮切りに200m超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパートの建設、都電の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。新宿駅西口地下広場については'新宿駅西口地下広場'を参照。
またこの地域にはマッサージ屋も数多く存在するらしい。なぜマッサージ屋が多く存在するかはオフィス街だからだろうか。私も一度マッサージにいってみたい。新宿ならここですね!
1991年に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。
一方で、駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化している。
(以上、ウィキペディアより引用)
高層ビルばっかりですもんね!
中にはマッサージや私書箱センターも数多く点在するようですよ!
私書箱センターってシッテマスカ?知らないなら以下参照!
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